2006年6号(VOL26-2)
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 昨年、スイスからホームページをご覧になってRIFAにメールをくださり、この1年、『スイスからの便り』を届けてくれることになった辻村加代子さんをご紹介します。栗東で小学校・中学校・高校時代を過ごし、1988年にスイスのチューリッヒの日本食レストランで就業することになり、1990年にはピーターさんとご結婚。現在はスイス国籍の辻村シニガー加代子さんとして、息子さんとのお3人で幸せな生活を送られています。「スイスにいても日本人の自分を忘れない毎日を過ごしています。」とうれしいメッセージをいただきました。

GRUEZIグリュッツイ(「こんにちは。」スイスドイツ語です。)今日はスイスからお便りをさせていただきます。
 私、辻村シニガー加代子が初めてスイスにやって来たのは、1988年3月のことです。その時は、将来スイスに住むことになろうなどとは思わずに1年ほどの限定期間の滞在かつ文化を見ながら言葉が覚えられたらなあと軽い気持ちでやってきました。
 私は、日本の神戸で生まれ、小学3年生で栗東に越してきてからはずーっと栗東育ちでした。栗東から外に出るときは、お嫁に行く時かなあなどと漠然と考えてはいたものの、深い意味もなく青春を楽しんでおりました。ただ、その頃から、女も何か手に職を持って意見を対等にいえる状況には憧れは抱いてはいたとは思います。でも、現実は、まったくちがうものではありましたが。それでも、高校卒の最終学歴しかもたない私にはあまり開けた道などあるわけもなく、心の葛藤があったことを覚えております。その時に勤めていた、琵琶湖ホテルの西洋料理長からのお声を今でも忘れられません。「これからは、女性もどんどん海外へ行って、色んなものを見てくるべきですよ。辻村さん行って見ませんか?世界観が変りますよ。」その言葉は私の肩を押すばかりではなく、心に重石のように残っていきました。これからの時代を歩くのに、違う文化、違う言語。見てみたい。感じてみたい。そう、私は好奇心旺盛です。
 その言葉に操られたようにやってきたけれど、スイスのことなど何一つ知らずに、言葉でさえ。ここスイスはヨーロッパの真ん中に位置していて、人口600万人(今日は700万人です)の永世中立国。共通語は4ヶ国語。私の中ではありえない。まるで、関西弁、東京弁、九州弁と東北弁ってなわけでもあるまいし。だってドイツ語、フランス語、イタリア語とロマニッシュ語。まるで違う言葉です。この九州ほどの大きさの国で600万ほどの人口で4つの言語。カルチャーショック!!そして1時間ほどでドイツやフランス、オーストリア。私のなかではありえない。来た年にやってみたのは5カ国回り、スイス、フランス、ドイツ、オーストリア、リヒテンシュタイン。ね?5カ国でしょ?それも1日でやっちゃった。ここの友人に言わせれば、信じられないことだそうです。日本人の高いお金を払って1週間や10日のヨーロッパ旅行は意味が無いそうです。そう、彼らの思うバケーションと私達の望むバケーションの違いです。日本人の1週間の旅行代金で、こちらでは3週間ほどの旅行に匹敵するのです。だってここでは、年間4〜5週間のバケーションがあるんですから、1週間でそれ程使えないですよね。その上、イースター、クリスマス、キリスト教関連のお休みがあるわけですから。日本人からしてみれば考えられないくらいのお休みです。今の私にはかえって、日本人として時間の使い方を考えさせられることがあります。頭の痛いことです。今じゃあ、人生70年、80年といわれています。これも健康であればのことですし。こちらのおじいちゃんおばあちゃんのお元気なこと。背中をピンとまっすぐに伸ばして。見習いたいものです。こういう風に元気に年は取って生きたい、そして家族や友人との時間を大切にしながら時間を過ごしたい。今、ここ海外に住む私には何よりの貴重なものです。ここに早20年弱住む私にとって、物の価値観は変ってきたこととは思います、でも、同じ人として、またこうやって縁あって栗東のかたがたにメッセージをお送りできることの幸せを感じています。この次にまた、スイスより違う観点で何か伝えられたら幸せに思います。では、また。チュース!!(「バイバイ。」という意味です。)チューリッヒより愛を込めて。


辻村シニガー加代子


2006年6月号(VOL26-2)

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